
憧れと嫉妬
先日、飲みに行って、ふとした瞬間に「俺もあいつみたいになりたいなぁ」って、思わず口から出た。「上杉さんでもそんなこと思うんですか?」って。その一瞬の会話が妙に頭に残っていて、俺でも、どこかで誰かに憧れてるし、嫉妬もしてる。それが意外なことに思われてるんか、と思うと、「憧れと嫉妬」についていろいろと考え始めだして、どうせなら、その考えをここで書いてみようと。
俺が憧れとか嫉妬とか、そんな感情を考え始めたのは、いつ頃からだろうか。子どもの頃はそんなもん気にしたことなかったし、友達がドッジボールで勝とうが、駄菓子屋でくじ引きで当たりを引こうが、ただの遊びやと思っていた。それが、ある日突然、「めっちゃ羨ましいー」みたいな感情が湧いてきた。で、気づいたら「なんで俺にはそれがないんだー!」ってなって、なんとも言えんモヤモヤした嫉妬に変わっていた。人間っていうのは、ややこしい生き物だ。
憧れと嫉妬は、似ているようで全く異なる感情だ。憧れは、ワクワクするが、冷静さを保つことができる。一方、嫉妬は、自分には手に入れられないよう感覚。これは急にムカついてくるという感情。一般的には、嫉妬は危険な感情で、ダークサイドに足が引っ張られるような感覚。憧れている間はまだ良いが、嫉妬が入り込むと状況は泥沼化する可能性だってある。つまり、憧れは比較的ポジティブな感情、嫉妬はネガティブな感情というわけだ。
でも、嫉妬っていうのも使いようによってはエネルギーになる。
これ、上杉流に言うなら、「嫉妬は爆弾」。
ただ、爆弾もちゃんと方向決めて投げれば、でっかいもんを吹き飛ばせるけど、方向間違えると自分も一緒に吹っ飛ぶ。それくらい嫉妬って危ない。
あの人いいな、あの人の生き方ってかっこいいなって思う時、そこに行きたい自分の気持ちがあるから嫉妬してるわけやろ?
それなら、そのエネルギーを利用して、何かやってみたらいいわけだ。
嫉妬が生まれるってことは、自分がそこに「行ける」可能性もあるっちゅう証拠かもしれん。
俺も若い頃、社内にいる先輩たちにめっちゃ嫉妬してた。
なんであいつらはあんなに仕事できるんや、俺もあれくらいできるようになりたいってずっと思ってた。けど、それでふて腐れるか、その嫉妬のエネルギーを使って自分の理想を追求するか。俺は後者を選んだ。嫉妬も、正しい方向に放出すれば、案外いいもんなのだ。
<上杉流 嫉妬の美学>
当然のことだが、俺のレベルになるとそんじょそこらの同期程度には嫉妬を感じるわけがない。
先輩たち、上司に対して嫉妬を感じていた。
ミジンコのような小物が互いに嫉妬している姿は見苦しい限り。
それ相応の高みに達している人に対して嫉妬するからこそ、一種の美しさを帯びるのだ。
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話を戻すと。憧れではなく嫉妬こそが成長につながることがあるって話ね。
ただ、憧れと嫉妬の間にある境界線って、実はかなり曖昧で複雑だ。
憧れてる段階では、「あの人みたいになりたいなぁ」とか「自分もあんな風に輝けたらいいなぁ」って、まだ穏やかで前向きな感情やろ?
むしろ、その人の存在が遠すぎて、近づくことすら想像できんといった感じ。
けど面白いのは、その憧れの対象が徐々に自分の手の届く範囲に入ってきた瞬間。そこで急に憧れが嫉妬に変わる。「なんであいつばっかり!」って感情が湧いてくる。
つまり、自分には絶対に手に入らんもんには純粋に憧れるけど、ちょっとでも手に入りそうな気配を感じたら、たちまち嫉妬に変わってしまう。
これが人間の複雑な心理ってもん。
サラリーマン時代を振り返ると、嫉妬されることが本当に鬱陶しかった。
正直なところ、「お前なんか相手にしてないわい」って思ってても、周りが勝手に競争を始めてしまう。
そういう状況が本当に面倒くさいと感じてた。
でも最近、社長として立場が変わってみると、ちょっと違う視点が見えてきた。
社員たちに嫉妬されることも、ある意味では重要なんじゃないかと。
つまり、俺が一番強いってだけじゃダメなわけよ。
憧れる存在になってしまうことが一番怖いのだ。
会社を成長させるためには、俺よりも優秀な奴、もっと野心を持った奴がいることが絶対に必要。そういう意味では、適度な嫉妬心は組織にとってプラスになる可能性もあるってこと。
ただし、勘違いしてほしくないのは、
今我輩にかかってきたところで、デコピン一発でぶっ飛ばしてやるっちゅう話。
秒で◯してやるわ、このタコ助がーーーー!!!
適度な緊張感を保ちつつ、みんなで切磋琢磨していく。
そんな環境作りが大事なんやろうな。
多くの学生がこの就活で嫉妬という感情を経験するだろう。しかし、重要なのはその感情をどう扱うかだ。嫉妬を単なるネガティブな感情として捨て去るのではなく、それを自己成長のためのエネルギーに変換する術を身につけることが大切なわけだ。他人の成功や能力に嫉妬を感じたなら、自分自身を向上させるモチベーションに変えてしまえ!嫉妬は努力の原動力となっていく。
少なくとも嫉妬だけして腐ってしまうようなタコ助にはなるな!
記憶に残っている最初の憧れはマツケンサンバの松平健ですね。僕は3歳くらいの頃、狂ったようにマツケンサンバを踊ってました。ビデオを見たら、そりゃもうキレッキレの3歳児。おばあちゃんに腰元ダンサーズ役(バックダンサー)をさせて、出てくるタイミング間違えたらブチギレ。それくらいマツケンに憧れて、あんな風にカッコよく踊りたいと思ってたんだろうな。
まぁそんな話はさておき、
今まであまり考えたことなかったけど、多分僕の原動力ってほとんど「憧れ」と「嫉妬」だな。誰かが何かを成功させると、それよりも良い結果を出したくなる。これまでの人生を振り返ってみたら、自分が本気で頑張れた時っていうのはいつもその感情が強くにじみ出ていた気がする。
最近、上杉さんからこんなことを言われました。「Galaxiaまだ福岡方面の市場開拓してないから、一人で開拓してきて」。これはついに一人で営業に行く許可だ!!(僕が勝手にそう思ってるだけかも)と思ってめちゃくちゃワクワクしてる。
そして翌日、とりあえずやってみようと思って、さっそく大学3年生だってことを隠して社会人になったつもりでテレアポから始めてみました。営業ってまずテレアポをするところから始まるんですが、テレアポはもう本当に断られてばっかり。そりゃ本当に必要だと思っていることでない限り、営業を好んで受ける人なんていないですよね。100件電話して3件アポ取れたら良いって言われるくらいらしい。
だが、もちろん僕はその3件で満足する気は微塵もない!電話でのアポ率を上げることも必要だけど、テレアポがダメならば他の方法を考えまくるしかない。なんとか自分の力で成果を出したいんです。
僕がこう思う理由の一つには、ある憧れというか、嫉妬がありまして…
それには上杉さんからお聞きした保険会社時代の話が関係しています。(上杉さん勝手に書いてすみません!)上杉さんは20代の頃、保険会社で営業をしていました。みなさんも想像がつくかもしれませんが、営業のなかでも保険営業は本当に嫌がられる。だから、話を聞いてもらうまでにとにかく苦労したのだとか。
僕がこの話で好きなのは、ここからの上杉さんの行動。
上杉さんは僕が到底思いつかないような方法で営業をして話を聞いてもらっていたんです。そして上杉さんの同期たちの営業も僕の想像を軽々と超えてきた。なんでそんな方法思いつくんだ?!いや思いついても普通は実行しないだろ!?って方法ばかり。
(詳細はぜひ上杉さん本人から聞いてください!なかには爆笑エピソードも)
こんな話を聞くたびに僕は自分がいかに凡人なのかを思い知らされるんです。
「なんでそんなことできるんだよ…」「自分にもそんな発想力と実行力があれば…」なんてことをいつも思っている。本当にカッコいいなと憧れつつも、そんな嫉妬の感情も。
だが僕は、早く追いつきたいし追い越したい。だから今「上杉さんはこれくらいやった。それなら俺はそれ以上のことをしてやろう。」って思っている。僕はこうやって嫉妬が原動力になっているんだと感じます。そして僕が上杉さんや同期の方達に嫉妬しているように、僕より若い世代が僕に嫉妬してそれが原動力をとなる。そんな影響を与えられるような人間になりたい。大事なのは「自分にもできる、いや超えられる。」って思い込むことですよね。そう思えなければ、ただただ「すごいなぁ」という憧れのままで終わってしまう。
はっきり言って、僕はいま普通の大学3年生が経験できないことをたくさん経験させてもらっている。最近よく聞く学生同士でグループディスカッションをしてフィードバックをもらって終わるようなインターンとは訳が違う。そして2026年に大学を卒業して正式に社会人として働き始めた時には、同級生なんて全く相手にならないくらいの力を絶対身につけている。僕が一緒に働きたいのは、そこで「なんでこんな奴がこんな面白い経験できるんだよ」「こいつにできるんなら俺もやってやろう」という一種の嫉妬をする人間。
大前提として僕は自分の力で成果を出したい。でも、上杉さんが新入社員時代に体験したような仲間との営業っていうのも経験してみたい。そこで、やっぱり一緒にやるなら僕と同じように嫉妬心を前向きな原動力にできるような人がいいな。
そんな人が来てくれるのを楽しみしてる。